top of page

パグウォッシュ会議と日本パグウォッシュ会議の歩み

1955年7月
パグウォッシュ会議発足の元になったラッセル・アインシュタイン宣言に湯川秀樹教授が参加。

1957年7月
カナダのパグウォッシュ村で開かれた第1回パグウォッシュ会議に湯川秀樹教授、朝永振一郎教授、小川岩雄助教授(現在:立教大学名誉教授)の3氏が出席。

この年の秋にパグウォッシュ会議日本グループ発足。

 

1962年
ラッセル・アインシュタイン宣言を支持する日本の科学者が第1回科学者京都会議を開催(1981年までに 4 回の会議を開催し、その間にしばしば勉強会を開催した)。

パグウォッシュの執行機関であった継続委員会は1972年に拡大され、このとき日本から豊田利幸教授が加わった。さらに1975年には、継続委員会が評議会と執行委員会とに分離された。豊田教授は1987年まで評議員を務めた。

 

1975年8月28日~9月1日
日本で初めてパグウォッシュ・シンポジウム(第25回)を京都で開催。

テーマは「完全核軍縮への新しい構想―科学者・技術者の社会的機能―」出席者 32名(うち日本から11名)。

1989年9月16~19日
第56回パグウォッシュ・シンポジウムを東京で開催。

テーマは「アジア・太平洋地域の平和と安全保障」出席者 32名(うち日本から15名)。

1992年
パグウォッシュ評議会評議員に小沼通二教授が選出され、2002年まで務めた。

 

1995年7月23~29日
第45回パグウォッシュ会議を広島で開催。

テーマは「核兵器のない世界を目指して」出席者 137名(うち日本から24名)ほかに若手15名(うち日本から5名)
 

8月1日に長崎でパグウォッシュ長崎オープン・フォーラム開催。

この年の10月13日にパグウォッシュ会議へのノーベル平和賞授賞が発表され、12月10日に授賞式。

1999年
パグウォッシュ日本若手グループが発足。

2002年8月
パグウォッシュ評議会評議員に大西仁教授が選出された。任期は2007年まで。
パグウォッシュ会議国際若手グループが新設した顧問の一人に小沼通二教授が委嘱された。任期は2007年まで。
パグウォッシュ評議会は、2005年に日本でパグウォッシュの会議を開催すると決定。これにもとづき日本パグウオッシュ会議が準備を進めることとなった。

これまでの日本からの参加者は69名(内14名は故人)、ほかに若手として年次大会に参加したもの8名。


2005年7月23―27日

第55回パグウォッシュ会議年次大会「ヒロシマ・ナガサキから60年」を広島国際会議場にて開催。

2015年11月1ー5日

第61回パグウォッシュ会議世界大会「Nagasaki’s Voice: Remember Your Humanity」を長崎市やすらぎ伊王島にて開催

「ノーベル平和賞」レプリカメダルを長崎市、広島市に寄贈。最終日に「長崎宣言」を発表。

​2016年4月

鈴木達治郎教授が代表に就任、2016年度体制が発足。

2020年10月18日

新設された会長に広渡清吾教授が就任、代表に稲垣知宏教授が就任、新たなメンバーを加えた運営委員会による2020年度体制が発足。

2021年5月3日

「ラッセル=アインシュタイン宣言」発表から66年を経た現在においても核兵器は無くなっておらず、人類の生存を脅かすさまざまなリスクも現れている状況下、「ラッセル=アインシュタイン宣言」は新しい役割を果たすのではないか。このような考えの下、運営委員、諮問会議メンバーからなる新和訳ワーキンググループが中心となり「ラッセル=アインシュタイン宣言」新和訳を公開。
 

日本パグウォッシュ会議  Pugwash Japan

bottom of page