日本パグウォッシュ会議ヒストリープロジェクト

公開No.01「ラッセル・アインシュタイン宣言と日本の科学者」

解説

公開No.01

「ラッセル・アインシュタイン宣言と日本の科学者」

【公開日】2016年8月9日

【再生時間】約5分

【証言】

 小沼通二(慶応大学名誉教授)

【構成、解説、インタビュアー】

 黒崎 輝(福島大学准教授)

【制作協力】

 高原孝生(明治学院大学教授)

【企画・制作】

 日本パグウォッシュ会議ヒストリープロジェクト


 1955年7月9日、イギリスの哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)がロンドンで記者会見を開き、物理学者アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)を含む世界的に著名な科学者 11名が署名した声明を発表した。この声明は世界各国で報じられ、「ラッセル・アインシュタイン宣言」として広く知られるようになる。同宣言はパグウォッシュ会議の起源とみなされているが、日本から湯川秀樹が署名者の一人として名を連ねたことにより、日本の科学者がパグウォッシュ会議と関わる原点にもなった。 
 湯川がラッセルに同声明への署名を求められたのは、同年4月のことであった。世界の諸政府に戦争の廃絶と平和の確立を求めるため、世界の科学者が会議を開催することを呼びかける声明への署名を求める一通の手紙が、ラッセルから湯川に届けられた。米ソ両国が熾烈な核軍備競争を繰り広げていた当時、核兵器を含む大量破壊兵器の発達の結果、核兵器と世界戦争の危険によって人類の存続が脅かされていることに憂慮の念を深めていたラッセルは、アインシ ュタインに相談し、世界各国の著名な科学者に声明への署名を求めることにした。そのなかに湯川も含まれていたのである
。 
 ラッセルの要請に湯川は賛同した。1948年から 1年間、ロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer)招かれて彼が所長を務めるプリンストン高等研究所に客員教授として滞在した湯川は、そこで平和主義者、世界連邦主義者として知られるアインシュタインと交流し、それ以来、彼に私淑していた
。また、1953年にアメリカでの学究生活を終えて帰国し、京都大学に新設された基礎物理学研究所の所長に就任した湯川は、翌年3月にアメリカが太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で第5福竜丸が被災した事件を機に、科学者の社会的責任を強く自覚し、核・平和問題に関して社会的発言を行うようになっていた。ラッセルの手紙を受け取って間もなく、アインシュタイン逝去の報に接した湯川は、ただちにラッセルの求めに応じて声明に署名する。 
 湯川が署名者の一人となっていたこともあり、ラッセル・アインシュタイン宣言の発表は、日本国内でも報じられた。7月10日付『朝日新聞』には同宣言への署名に関する次のような湯川の談話が掲載されている。「アインシュタイン博士の亡くなる前に世界の平和、人類の存続のため、国際紛争を戦争によって解決することをやめ、特に原子兵器を禁止するよう世界に訴えようという話があり、私も喜んで賛成した。
」 
 その後、湯川はラッセル・アインシュタイン宣言への支持を日本で広めるため、行動を開始する。まず、湯川は日本学術会議に対し、第20回総会(1955年10月)で同宣言を採り上げるよう、朝永振一郎(東京教育大学)らと連名で要望した。しかし、これは実現しなかった。そこで湯川は山田三良・日本学士院院長、茅誠司・日本学術会議会長とともに、「ラッセル声明を支持し、学者としてこれに協力するように」と日本の科学者に呼びかけた。これに対して 1956年3月までに、200人余りから声明支持の返事が集まった。 
 さらに湯川らは、同月12日、東京大学構内の学士会館にラッセル・アインシ ュタイン宣言の支持者を招き、これからの活動方法などを話し合うことにした。呼びかけの世話人となったのは、朝永と坂田昌一(名古屋大学)であった。坂田はのちに湯川や朝永とともに日本グループの中心人物となった理論物理学者であり、前述の日本学術会議への要望にも名を連ねていた。結局、当日会場に集まったのは、朝永、坂田のほか数人に止まった。ラッセル・アインシュタイン宣言に応えて行動しようと考える日本の科学者は少なかったものの、ここに日本におけるバグウォッシュ・グループの萌芽をみることができる
。 
 小沼氏がインタビューの中で語っている世界平和アピール七人委員会は、日本の知識人 7 人からなる平和問題に関する意見表明のための会として、世界連邦建設同盟理事長、平凡社社長であった下中弥三郎の提唱により、1955年11月に発足した。湯川秀樹はこれに初代委員として加わった。その最初のアピール(「国連第十回総会に向けてのアピール」1955年11月11日)では、「世界は、依然として戦争の脅威にさらされ、原子力戦争は人類の破滅を予想させつつある」との認識が示されており
、ラッセル・アインシュタイン宣言の影響が窺える。 

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1 ジョセフ・ロートブラット(小沼通二訳)「パグウォッシュ会議の誕生」(『パリティ』第17 巻第2 号、2002 年2 月)、25-26 頁。ラッセル・アインシュタイン宣言が発表されるまでの経緯については以下の文献も参照。Sandra Ionno Butcher, “The Origins of the Russell-Einstein Manifesto,” Pugwash History Series, No. 1 (May 2005), The Council of the Pugwash Conferences on Science and World Affairs, 
https://pugwashconferences.files.wordpress.com/2014/02/2005_history_origins_of_manif esto3.pdf. 
2 ロートブラット「パグウォッシュ会議の誕生」、23-25 頁。 
3 湯川秀樹「平和への願い」(湯川秀樹『湯川秀樹著作集5 平和への希求』岩波書店、1989年)300-301 頁。湯川とアインシュタインの平和思想や平和運動との関わりについて以下の文献が詳細に論じている。田中正『湯川秀樹とアインシュタイン――戦争と科学の世紀を生きた科学者の平和思想』岩波書店、2008 年。 
4 湯川・朝永生誕百年企画展委員会編『素粒子の世界を拓く――湯川秀樹・朝永振一郎の人と時代』京都大学学術出版会、2006 年、80 頁。 
5 湯川秀樹「原子力と人類の転機」(湯川秀樹『湯川秀樹著作集5』)51-53 頁。 
6 湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一編著『平和時代を創造するために――科学者は訴える ――』岩波新書、1963 年、7-10 頁。 
7 『朝日新聞』1955 年7 月10 日。 
8 「Burtrand Russel 他8 名の科学者の声明について」『日本学術会議第20 回総会史料綴』(名古屋大学坂田記念史料室、保管場所番号A-6-4-1)。坂田昌一「原子力についての訴え ――ストックホルムにて――」(坂田昌一『科学と社会 論集2』岩波書店、1972 年)244頁。『朝日新聞』1956 年3 月13 日。 
9 世界平和アピール七人委員会編『世界に平和アピールを発し続けて』平凡社、2002 年、 34 頁。 

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