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第三回科学者京都会議声明(1966)

今から4年前、私たちは第一回科学者京都会議を開き、核戦争による人類破滅の危険が増大しつつある折から、戦争がもはや国際間の諸問題を解決する手段となりえないこと、日本国憲法第9条が制定当時にもまして、大きな新しい意義 をもつにいたったことを確認いたしました。又その観点から、核兵器による戦争抑止の政策は戦争廃絶の方向に逆行するものであり、私たちはこれに反対せざるをえないことを表明いたしました。

その翌年開かれた第二回科学者京都会議では、アメリカ合衆国と中華人民共和国との間の敵対状態の存在が、アジアにおける緊張の根源であり、世界平和の創造にとって著しい障害となっていること、日本が核非武装の原則を貫くこと は世界平和に対する大きな貢献となることを主張いたしました。

しかるにその後、国際情勢はますます私たちの憂慮した方向に進みつつあり、とくに最近にいたってハノイ・ハイフォン地区の爆撃が強行されるにいたりました。

私たちは6月30日から7月2日まで3日間にわたり核戦争と平和の問題について討議を行い、第一回以来の科学者京都会議の基本精神である「アインシュタインの原則」を三たび確認するとともに、次の一致した見解に到達いたしました。

ポラリス型原子力潜水艦など、移動可能な核ミサイル基地をはじめとする核兵器体系の巨大化・多様化は、最近著しく進展しております。いうまでもなく、核爆弾を搭載あるいはそれを運搬する手段であることを明確に否定できないようなものは、核兵器を主体とする戦力の体系のなかで重要な要素を構成しているのであります。

1963年8月、部分的核実験停止条約は成立しましたが、その後も、米ソ両国によって地下核実験は継続され、迎撃核ミサイルを含む各種の核兵器の技術的開発はますます精力的に進められています。とくに近年、大量殺戮兵器としての いわゆる戦略核兵器に加えて、局地戦にも容易に使用しうることを目指した、いわゆる戦術核兵器が開発され、すでに実戦部隊に配備されるにいたっております。また戦術核兵器と通常兵器とが類似したものであるかのような印象を与える言論が一部におこなわれています。しかしながら、核兵器は種類のいかんを問わず、通常兵器との間に、物理的にみ ても、その効果の残虐性からみても、厳然たる相違があり、戦術核兵器と戦略核兵器との間には、破壊力の質的相違がほとんど認められず、量的にも技術的にも両者は連続しているのであります。

核抑止政策、すなわち核報復能力にたよって全面戦争の勃発を抑止しようとする政策は、今日ではますます危険な様相を示してきています。高度に体系化された核戦略のなかで、戦術核兵器はそれがひとたび使用されるや、戦争の政治 的性格のいかんにかかわらず、その戦争を戦略核兵器の使用にみちびく破局的戦争に拡大する役割をもたざるをえないのであります。戦術核兵器の発達にともない、通常兵器による戦闘といえども、それが核戦力を背景として行なわれる戦争である場合には、容易に核兵器の使用にまで拡大される危険を持つことを指摘せねばなりません。また、フランス、中国などの例に見られるような核兵器保有国の増加は、核抑止政策の前提とされた対抗勢力相互のいわゆる「力の均衡」による安定が、軍事的にも政治的にも、ますます成立し難い状況を生み出しているのであります。

こうして、戦略核兵器の保有にたよる全面戦争抑止戦略が、戦略としての有効性を失いつつあるなかで、ひとり破壊と殺戮の技術的手段のみが際限なく進歩させられつつあり、このままで行けば、大気圏外空間および海洋を含む全地球表面に各国の核兵器体系が入り乱れて作動する恐るべき状態のもとで、私たちは暮らさねばならぬことになるでありましょう。

核抑止政策の有効性が失われ、破綻しつつあり、しかも核兵器開発競争に諸国民がまき込まれつつあるという状況そのものは、うたがいもなく核戦争の危険を増大させる要因であります。にもかかわらず、人類が今日まで破局的な核戦争を避けてきたのは、核兵器体系自身のもつ機能によってではなく、むしろ核戦争を拒否する人類の平和への意志によるものであると言わねばなりません。ラッセル・アインシュタイン宣言に見られるように、戦争廃絶という人類の痛切な願いは、まさに、核兵器という怪物に直面してできたものであることを、もう一度、よく考えて見ようではありませんか。

国家の安全を「力の均衡」によって保障しようとする考えは、必然的に無制限の軍備競争をひきおこし、従って、平和をうち立てることを不可能にします。永続する平和を創り出し、新しい世界秩序をうち立てるためには、諸国家の利益は価値体系の共通点を見出し、その増大を目指すという相互信頼の立場にたつことが不可欠であります。しかもこのことは単なる理想論ではなく現実的な根拠をもっていることを私たちは主張したいと思います。

この意味において「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とのべている日本国憲法前文は、高度の合理性と政治的叡智を内包しているといえましょう。私たち日本人は、いかなるかたちにおいても、核兵器に依存して自らの安全を保障しようなどと考えず、核兵器を否定することを通じて安全を保障し永続する平和に到達する途をえらばなければなりません。

私たちは、属する国の政治的経済的体制のいかんを問わず、科学者としての責任にもとづき、科学者の国際的連帯を強め、その共同の努力によって、この考え方を全人類の常識とするよう努めたいと思います。そして広くあらゆる方面 の人々とともに、これに逆行する動きを警戒し、平和時代の創造という人類の偉大な事業に積極的に寄与したいと思います。

 

1966年7月2日 東京にて 

有山兼孝 江上不二男 江口朴郎 大内兵衛 大河内一男
大仏次郎 貝塚茂樹 茅誠司 久野収 桑原武夫
小谷正雄 坂田昌一 坂本義和 佐久間澄 末川清
田島英二 田中慎次郎 田畑茂二郎 都留重人 恒藤恭
谷川徹三 朝永振一郎 豊田利幸 南原繁 野上茂吉郎
福島要一 丸山真男 三宅泰雄 宮沢俊義 宮村摂三
湯川秀樹 我妻栄

日本パグウォッシュ会議  Pugwash Japan

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